谷繁元信の経歴と年棒は?引退試合で息子から花束も!

谷繁元信
今シーズンで選手としての現役を引退した谷繁元信監督兼選手。
長年プロ野球を代表するキャッチャーとして活躍をしてきました。今回は経歴、年棒、引退試合を紹介していきます!

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谷繁元信選手のプロフィール

谷繁元信
名前   :谷繁 元信(たにしげもとのぶ)
生年月日 :1970年12月21日
出身地  :広島県比婆郡東城町(現:庄原市)
身長   :176 cm
血液型  :A型
投球・打席:右投右打
ポジション:捕手

選手歴

江の川高等学校
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1989 – 2001)
中日ドラゴンズ (2002 – 2015)

経歴

谷繁選手は島根県の江の川高校から1988年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団しました。

高校時代は夏の甲子園に2度出場し、当時は江藤智さんとともに「東の江藤、西の谷繁」と言われる程の強打者でした。

プロ入り後、ルーキーイヤーから開幕一軍入りを果たし80試合に出場。そして、強打・強肩を武器に出場機会を重ねて正捕手の座をつかみました。1998年にはチーム38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導く活躍を見せました。

2001年のオフにFAで中日ドラゴンズに移籍。2002年から中日の投手陣をリードし、4度のリーグ優勝と2007年の日本一に貢献しました。

個人の成績は、2013年に通算2000本安打を達成。2015年には野村克也さんが持つ通算試合出場数(3017試合)の記録を塗り替え、プロ野球歴代1位の出場試合数を達成しました。他にもベストナイン、ゴールデングラブ賞など多くの賞を受賞してきました。

2015年9月に引退を表明。
2014年から選手兼監督としてチームの指揮を執ってきましたが、来季からは監督に専念することになりました。

谷繁元信選手の年棒

年棒 チーム
1989年 480万円 横浜大洋ホエールズ
1990年 720万円
1991年 1080万円
1992年 1430万円
1993年 1330万円 横浜ベイスターズ
1994年 2600万円
1995年 3500万円
1996年 3250万円
1997年 6600万円
1998年 6600万円
1999年 1億3000万円
2000年 1億4000万円
2001年 1億4000万円
2002年 1億4000万円 中日ドラゴンズ
2003年 2億5000万円
2004年 2億5000万円
2005年 2億5000万円
2006年 2億2500万円
2007年 2億1000万円
2008年 2億円
2009年 1億7500万円
2010年 1億6000万円
2011年 1億7000万円
2012年 1億8000万円
2013年 1億9000万円
2014年 1億3000万円
2015年 9000万円

引退試合は横浜スタジアムで

谷繁元信
谷繁元信監督兼選手の選手としてのラストゲームは、9月26日の横浜DeNA戦でした。8番キャッチャーでスタメン出場し、第1打席までの出場となりました。最後の打席はショートゴロとなり、現役生活にピリオドを打ちました。

この時、かつてバッテリーを組んだ「ハマの番長」で知られている三浦大輔投手や自身の子供から花束を受け取り、目を潤ませました。

思い入れのある横浜スタジアムでDeNAファン、ドラゴンズファンに見守られる中でのラストゲーム。三浦投手と息子さんからの花束と、いい引退試合になったのではないでしょうか。

谷繁選手は息子さんが3人いますが、長男の快(かい)さんは「尊敬できる、本当に格好いい父親です」と語っています。

中日は若返りをはかるチームの事情もあるのか、今季のオフは引退ラッシュとなりました。山本昌投手、和田一浩選手、小笠原道大選手、朝倉健太投手が引退しました。来季の谷繁監督の手腕に注目したいところです!

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