桑田真澄の高校から巨人・メジャーでの経歴と引退後の活動!清原和博への思い

桑田真澄
元プロ野球選手の桑田真澄さんは、PL学園高校時代に清原和博さんとのKKコンビで甲子園を沸かせ、プロ野球でも活躍しました。今回は、高校時代から、巨人、メジャーリーグでの経歴、引退後の活動、清原さんへの思いも紹介します。

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プロフィール

桑田真澄
名前   :桑田 真澄(くわた ますみ)
生年月日 :1968年4月1日
出身地  :大阪府八尾市
身長   :174 cm
血液型  :AB型
投球・打席:右投右打
ポジション:投手

選手歴

PL学園高等学校
読売ジャイアンツ (1986 – 2006)
ピッツバーグ・パイレーツ (2007)

経歴

PL学園高校で1年生からエースとして活躍し、甲子園に5回出場しました。同級生の清原和博とKKコンビと呼ばれ、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回という成績を残しました。

1985年ドラフト会議では、巨人から1位指名を受けて入団。それまで早稲田大学進学を表明していたため、巨人との密約説も囁かれます。盟友・清原は、巨人入りを熱望するも、6球団の競合の末西武に入団しました。

プロ入り2年目、15勝6敗、防御率2.17の成績で最優秀防御率を獲得し、沢村賞に選ばれると、翌1988年には開幕投手に抜擢されました。斎藤雅樹、槙原寛己とともに先発「三本柱」としてチームに貢献し、1992年には6年連続二桁勝利を記録します。

桑田真澄

しかし1995年、右肘の靱帯を断裂してしまい、渡米して手術を受けました。選手生命に関わる大怪我でしたが、2年後に復活を果たします。復帰した際に、マウンドで右肘をつけた姿は名シーンとして知られています。

1998年には開幕投手を務め、16勝を挙げましたが、その後は成績が低迷します。引退を決意しますが、原監督に引き留められて現役を続行し、2002年には12勝6敗、防御率2.22で最優秀防御率のタイトルを獲得します。

しかし、それ以降は思うような成績を残すことが出来ず、2006年巨人を退団し、メジャーリーグ挑戦を表明します。

桑田真澄
ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2007年6月にメジャー昇格、39歳70日にしてメジャーデビューを果たしました。19試合に登板するも成績は振るわず、8月に戦力外通告を受けます。そして、2008年3月に引退を表明しました。

現役引退後の活動

引退後は野球解説者、野球評論家として活動します。
また、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に進学して、首席で修了。修士論文は最優秀論文賞を受賞しました。

2013年1月からは、東京大学硬式野球部の特別コーチを務めています。
2014年には東京大学の大学院へ進み、2年間を目途に投手や野手について研究することに。指導者、野球解説者、野球評論家として幅広く活動しながら、野球に関する研究にも熱心に取り組んでいます。

清原和博への思い

清原和博さんの覚せい剤による逮捕を受け、桑田真澄さんは報道陣の取材に応じました。その表情から、ショックを隠しきれない様子が伝わってきました。

3年ほど前から疎遠な関係になったと言いますが、清原さんについて「優しくて、人思いで、思いやりがある」と語っていました。

そして、こんなコメントを残しています。

「彼の性格は1番知っているので、今、どういうふうに時間を過ごしているか分かる。今言えるのは、野球のピンチに代打とリリーフはいるけど、自分の人生に代打とリリーフはいない。現役時代に数々のホームランを打ってきた。自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」

「KKコンビ」として甲子園を沸かせ、プロ野球でも素晴らしい実績を残してきました。そんな2人の胸の内には、様々な思いがあることでしょう。良い方向に向かうことを願っています。

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