マルチナ・ヒンギス選手は若くして才能を開花させ、数々の最年少記録を打ち立てたテニスプレイヤーです。16歳で世界女王になり、自己最高世界ランキングは、シングルス・ダブルスともに1位という輝かしい実績を持っています。
2度の引退を経て復帰し、現在はダブルスの選手として活躍。そんなヒンギス選手に迫りたいと思います。
プロフィール
名前 :マルチナ・ヒンギス
ラテン文字:Martina Hingis
国籍 :スイス
出身地 :チェコスロバキア・コシツェ
生年月日 :1980年9月30日
身長 :170cm
利き手 :右
バックハンド:両手打ち
プロ転向年: 1994年
経歴
マルチナ・ヒンギス選手は2歳の頃からテニスを始め、早くから才能を開花させていきました。
1994年に14歳でプロに転向。
1997年には全豪オープンを制して4大大会史上最年少優勝、そして史上最年少16歳6ヶ月で世界ランキング1位になりました。この年には、ウィンブルドン、全米オープンも制覇して、16歳で4大大会3冠を成し遂げます。世界ランク1位の在位期間は長かったものの、足首の故障などの理由で2003年に引退。
2006年に現役復帰。トップ10にも返り咲きましたが、2007年ウィンブルドンでのドーピング検査で、コカインの陽性反応が出たため(本人は使用を否定)、2年間の出場停止処分を受けて、2度目の現役引退へ。
2013年にテニスの殿堂入りを果たし、ダブルスでの現役復帰を表明。2015年には全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンで優勝し、世界トップレベルであり続けています。
プレースタイル
相手の動きやボールのコースを読む力に優れ、頭脳的なテニスを展開します。パワーはないものの、あらゆるショットを高いレベルでこなすテクニックがあります。どんな姿勢でも狙ったコースに打てるため、相手はどこに打つかを読めません。優れた技術と巧みな試合運びに見る者を魅了しています。
名前の由来と生い立ち
マルチナ・ヒンギス選手は、テニスプレイヤーだった両親のもと、チェコスロバキアで生まれました。名前はテニスの名選手、マルチナ・ナブラチロワさんにあやかって「マルチナ」と名付けられたそうです。
ヒンギス選手が7歳のときに両親が離婚し、8歳で母親とスイスへ移住。2歳から始めたテニスはその後も上達し、14歳でプロテニスプレーヤーとなったのです。
性格やプライベートは?
若くしてテニス界のトップに上り詰めたヒンギス選手。感情的になりやすい性格も話題になりました。試合中に感情を爆発させたり、審判に抗議して観客から大ブーイングを浴びてしまったこともありました。
そして、プライベートでは恋多き女性として知られ、2度の婚約解消を経験。2010年にフランスの馬術選手と結婚するも、夫に対するDV疑惑が報じられたこともありました。
コカイン疑惑に続き、プライベートで悪いうわさが流れてしまっても、テニスへの情熱を失いませんでした。ダブルスの選手として復活を遂げ、輝きを取り戻したのです。
かつて「天才少女」と呼ばれたヒンギス選手は、現在も世界中のファンを魅了し続けています。