今季をもって現役を引退した山本昌選手。32年の長きにわたり中日ドラゴンズで活躍をしてきました。今回は、球界のレジェンド山本選手に迫っていきたいと思います!
山本昌選手のプロフィール
名前 :山本昌(やまもとまさ)
生年月日 :1965年8月11日
出身地 :神奈川県茅ヶ崎市
身長 :186 cm
血液型 :AB型
投球・打席:左投左打
ポジション:投手
※本名は山本昌広
選手歴
日本大学藤沢高等学校
中日ドラゴンズ (1984 – 2015)
経歴
山本昌選手は日大藤沢高校より1983年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団しました。
プロ入り後2年間は1軍で登板がありませんでした。3年目の1986年シーズン終盤でプロ初登板、初勝利は2年後の1988年におさめました。
1990年代は同じくサウスポーの今中慎二投手と二枚看板として中日投手陣を支えていきました。
2000年代に入っても衰えることなく、ベテランの活躍を続けていきました。
2006年9月16日対阪神戦で、プロ野球史上最年長41歳1カ月でノーヒットノーランを達成しました。2008年には通算200勝を達成。この時も最年長記録となり、これ以降も数々の最年長記録を更新していきました。
引退までに獲得したタイトルは、最多勝3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回で、これらは1990年代に獲得しました。その他にも沢村賞、最優秀投手など数々の賞に輝いています。
投球フォームは大きく振りかぶり、背筋を一杯に伸ばしてから投げる特徴的なフォーム。持ち球はスクリューボールを武器に、ストレート、カーブ、スライダーで組み立てるピッチングでした。
2015年9月25日に自身のサイトで引退を表明、9月30日の記者会見で正式に引退を発表しました。
山本昌選手の年棒
年 | 年棒 | チーム |
---|---|---|
1984年 | 360万円 | 中日ドラゴンズ |
1985年 | 360万円 | 〃 |
1986年 | 380万円 | 〃 |
1987年 | 400万円 | 〃 |
1988年 | 400万円 | 〃 |
1989年 | 1100万円 | 〃 |
1990年 | 2100万円 | 〃 |
1991年 | 2800万円 | 〃 |
1992年 | 2700万円 | 〃 |
1993年 | 5200万円 | 〃 |
1994年 | 1億円 | 〃 |
1995年 | 1億7500万円 | 〃 |
1996年 | 1億3500万円 | 〃 |
1997年 | 1億2500万円 | 〃 |
1998年 | 1億8340万円 | 〃 |
1999年 | 1億8340万円 | 〃 |
2000年 | 1億8000万円 | 〃 |
2001年 | 1億8000万円 | 〃 |
2002年 | 1億8000万円 | 〃 |
2003年 | 1億7000万円 | 〃 |
2004年 | 1億9000万円 | 〃 |
2005年 | 2億3000万円 | 〃 |
2006年 | 2億3000万円 | 〃 |
2007年 | 2億4000万円 | 〃 |
2008年 | 1億5000万円 | 〃 |
2009年 | 1億5000万円 | 〃 |
2010年 | 1億2000万円 | 〃 |
2011年 | 1億円 | 〃 |
2012年 | 4000万円 | 〃 |
2013年 | 6000万円 | 〃 |
2014年 | 4000万円 | 〃 |
2015年 | 4000万円 | 〃 |
引退試合と会見でのコメントは?
山本昌選手の引退試合は10月7日の広島戦でした。打者1人限定で先発登板をし、丸選手をセカンドゴロに打ち取りました。球場から温かい拍手が送られ、山本選手の涙も印象的でした。
通算成績は219勝165敗5セーブ。中日ドラゴンズ一筋32年の現役生活にピリオドを打ちました。引退を表明した時の会見では「悔いはすごくあります、でも後悔はしていません。」と語っていました。
同期は?趣味はラジコン?
山本昌選手の同期が気になるところですが、何人かあげてみると、
- 渡辺久信
- 星野伸之
- 吉井理人
- 白井一幸
- 池山隆寛
- 水野雄仁
- 小早川毅彦
など、監督やコーチ経験者なのです。50歳まで現役ですから、そのはずです。まさにレジェンドですね。
引退後の進路は未定のようですが、今後も「野球に携わっていたい」と語っています。
プライベートではラジコンが趣味。その腕前はプロ級で、数々の大会において優勝や入賞をするほどだそうです。ラジコンレーサーとして更に腕を磨いていくのかもしれません。
引退は寂しいですが、今後も幅広く活躍してほしいと思います。お疲れ様でした!