小川淳司の現役時代の経歴・性格は?父からの言葉やエピソードも!

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元プロ野球選手で、現在は東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督。1975年夏の甲子園で習志野高校のエースとして全国制覇を果たしています。今回は小川監督の現役時代の略歴や人柄、エピソードを紹介したいと思います。

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プロフィール

名前   :小川 淳司(おがわ じゅんじ)
生年月日 :1957年8月30日
出身地  :千葉県習志野市
身長   :186 cm
血液型  :A型
投球・打席:右投右打
ポジション:外野手

選手歴

習志野市立習志野高等学校
中央大学
河合楽器
ヤクルトスワローズ (1982 – 1991)
日本ハムファイターズ (1992)

監督・コーチ歴

ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズ (1996 – 2014, 2018 – )

経歴

習志野高校ではエースとして夏の甲子園優勝に貢献し、中央大学に進学後、外野手に転向しました。社会人野球の河合楽器を経て1981年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。プロ入り1年目のから1軍に定着しますが、当初は代打としての出場にとどまります。1984年にはレギュラーを勝ち取りますが、1986年には故障の影響から打撃が低迷。その後は準レギュラーとして代打や守備固めとして頻繁に起用されました。

1992年、角盈男さんとの交換トレードで日本ハムに移籍し、この年で引退しました。
現役時代の通算成績は、940試合、打率.236、412安打、66本塁打、195打点。

引退後の活動

引退後はスカウトとしてヤクルトに復帰した後、1996年~1998年までヤクルト二軍守備走塁コーチ、1999年~2007年まで二軍監督、2008年から一軍ヘッドコーチを歴任。2010年シーズン途中に高田監督を辞任したことで監督代行に就任し、2011年から正式に監督になりました。2014年シーズン限りで監督を辞任し、その後はシニアディレクターを務めました。2018年から再びヤクルトの監督を務めています。

人柄は?父からの言葉に影響も

小川監督は優しい性格と言われています。時には「優しすぎる性格」とも。ご本人も高校時代から言われ続けていると語っていますが、それは勝負の世界に向いていないとも思っているようです。

そんな小川監督のお父様は、犯罪や非行に走った人たちの更生をサポートする保護司をしていたそうです。お父様から「罪を犯した者は出会いの失敗者なんだ」という話を聞いて以来、この言葉を心に留めているらしく「指導者となった自分が、選手にとって出会いの失敗になってはならない」と思っているのです。二軍監督時代には、練習もあまりせずに怠惰な生活を送っていた畠山和洋選手を熱心に指導し、ヤクルトの主力選手にまで成長させたというエピソードがあります。

結婚した奥様との出会い

小川監督は結婚されていますが、奥様との出会いも気になるところです。奥様は後楽園球場でリリーフカーを運転していたらしいのです。投手でもないのに、どうやってビジター球場のリリーフカーガールと知り合ったのか、、、謎ですね。

きっと、奥様との良い出会いにより、小川監督の活躍があるのだと思います。

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