森繁和の現役時代の経歴は?ドミニカ選手獲得のポリシーとエピソード

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2017年から中日ドラゴンズの監督を務める森繁和監督。指導者としての経験も豊富で、ドミニカの選手をスカウトすることでも知られています。その風貌から怖い印象を持つ人も多いようですが、どんな人なのでしょうか。今回は、森監督について紹介したいと思います。

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プロフィール

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名前   :森 繁和(もり しげかず)
生年月日 :1954年11月18日
出身地  :千葉県長生郡一宮町
身長   :181 cm
血液型  :AB型
投球・打席:右投右打
ポジション: 投手

選手歴

駒澤大学高校
駒澤大学
住友金属
西武ライオンズ (1979 – 1988)

監督・コーチ歴

西武ライオンズ (1989 – 1999)
日本ハムファイターズ (2000 – 2001)
横浜ベイスターズ (2002 – 2003)
中日ドラゴンズ (2004 – 2011, 2014 – )

経歴

駒澤大学高校から駒澤大学へ進み、1976年のドラフト会議でロッテ・オリオンズから1位指名を受けるも「私にはまだ足らない所がある」と入団を拒否して住友金属に進みます。そして、1978年のドラフト1位で西武に入団。

ルーキーイヤーから先発陣の一角を任され、1982年には開幕投手に起用されます。同年シーズン途中からリリーフに転向し、1983年には当時の日本記録34セーブを挙げ、最優秀救援投手を受賞しました。その後は怪我に悩まされ、1988年に現役を引退しました。

現役時代の通算成績は、344試合、57勝62敗82セーブ、防御率3.73。

引退後の活動

引退後は1989年から西武、2000年から日本ハム、2002年から横浜で投手コーチを歴任。2004年からは中日で投手コーチ、ヘッドコーチを務め、4度のリーグ優勝、1度の日本一に尽力し、2011年に退団。

2012年、2013年は文化放送・J SPORTSなどで野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家を務めました。

2014年より中日のヘッドコーチに復帰。
2016年はチームの成績不振のため谷繁監督が休養したことに伴い、監督代行を務め、2017年シーズンより中日ドラゴンズの監督として指揮を執ることになりました。

森繁和ってどんな人?

オールバックの髪形にサングラスをかけ、怖そうなルックスで知られている森繁和監督ですが、シブイ、カッコイイ、ダンディ、そんな印象も受けます。

そんな森監督は、指導者経験も豊富で、選手に対しての指導が厳いそうですが、兄貴分として慕われ、人望が厚いとのこと。また、中日のコーチ時代は、落合博満監督(当時)からの信頼も厚く、投手の起用を任されていたそうです。自身の著書「参謀」には、落合監督の右腕、懐刀としてチームを支えた8年間が書かれています。気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

ドミニカ選手獲得のポリシーとエピソード

森監督は、中日のコーチ就任後から外国人選手の獲得のため、ドミニカ共和国のウィンターリーグの視察を行ってきました。「ダイヤの原石がゴロゴロいる」と語っていますが、選手獲得のポイントは、「試合前の練習態度」「日本球界で稼ごうというハングリー精神」を重要視しているそうです。実績があっても練習態度が悪い選手は獲らないらしく、明確なポリシーをお持ちのようです。

ドミニカ共和国でのエピソードとして、過去にピストルを突きつけられたこともあったといいます。そんな怖い体験をしても地球の裏側まで足を運ぶ行動力は素晴らしいもの。そんな森監督率いる中日に注目していきたいですね。

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