黒田博樹を育てた父母と寄付のこと。名言とメジャーのエピソードも!

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今シーズン限りで引退した黒田博樹選手。プロ20年目の今季は、日米通算200勝を達成し、広島のリーグ優勝に貢献しました。そんな、黒田選手に迫りたいと思います。

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プロフィール

名前   :黒田 博樹(くろだ ひろき)
生年月日 :1975年2月10日
出身地  :大阪府大阪市
身長   :185 cm
血液型  :B型
投球・打席:右投右打
ポジション:投手

選手歴

上宮高校
専修大学
広島東洋カープ (1997 – 2007)
ロサンゼルス・ドジャース (2008 – 2011)
ニューヨーク・ヤンキース (2012 – 2014)
広島東洋カープ (2015 – 2016)

経歴

高校時代は控え投手だった黒田選手は、専修大学に進学するとピッチャーとしての才能が開花し、エースに君臨します。そして、1996年のドラフト2位(逆指名)で広島東洋カープに入団しました。

1999年に先発ローテーションの座をつかみ、2001年に2桁勝利を挙げ、2003年には初の開幕投手を務めるなど、広島のエースとしてチームに貢献します。

2007年オフにFA権を行使し、ロサンゼルス・ドジャースに入団。移籍2年目の2009年には開幕投手を務め、メジャーリーグでも活躍を見せました。2012年、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2014年シーズン終了後にFAとなり、メジャー球団から高額なオファーを受けながらも、古巣・広島に復帰することに。

2016年7月に日米通算200勝を達成。この年、広島は25年ぶり7度目のリーグ優勝をしました。2016年10月25日、札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズ第3戦が現役最後の登板となりました。

黒田博樹の両親と寄付のこと

黒田選手の父は、元プロ野球選手の黒田一博さん、母は砲丸投げの選手というアスリート一家です。大投手・黒田博樹の誕生は、両親が後押ししたと言っても過言ではありません。

高校時代、控え投手だった黒田選手は、名門と言える大学からは声がかかりませんでした。そのため、地元、関西の大学に進学し、楽しみながら野球を続けるという考えでしたが、母はそれを否定したようです。また、父も諦めかけていた野球への情熱を後押し、黒田選手は専修大学に進学する決意をします。

父・一博さんは、現役引退後に少年野球チーム「オール住之江」を設立し、監督を務めました。多くの選手を育て上げ、息子の黒田博樹選手もその一人でした。母は元体育教師だったこともあり、教育方針が厳しかったそうです。

そんな両親ですが、2002年に母が亡くなり、2007年には父が亡くなります。父がガンと闘っている際、黒田選手にはメジャー挑戦の話が持ち上がっていましたが、父の闘病を支える気持ちが強く、1年先延ばしにしたという話もあります。

黒田選手は、両親をガンで失った経験から、癌の研究や啓発を行う活動に多額の寄付をしています。これは、ロサンゼルスのメディアにも紹介されました。

名言とメジャーのエピソード

プレーのみならず、言動にも影響力がある黒田選手は、心に残る名言をいくつか残しています。そのひとつに、「雪に耐えて梅花麗し」があります。西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、「ゆきにたえてばいかうるわし」と読み、寒い冬を耐えた梅の花が、春には一番麗しく咲く様子を表しています。

ヤンキース時代に、キャンプのミーティングで各選手が自分の好きな言葉を披露した際に、黒田選手はこの言葉を紹介しており、監督、チームメイトから称賛されたというエピソードがあります。主将のデレク・ジーター選手は、

「彼の詩は、われわれに直接あてはめられるもの。良い時も悪い時も、常に変わらず汗を流し続けることが大切だし、頑張れば必ずその報いがある」

と語ったそうです。
困難や試練を乗り越えていくために、心の支えにとなる言葉だと思います。

日米通算20年に及ぶ現役生活、お疲れ様でした!

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